FUNKY MONKEY TRAVELERS

CROSS THE MIDDLE EAST 09 -中東旅行記-

9.ヨルダンへ

ダマスカスはゆっくり観光せず、翌朝ヨルダンへと向かった。ダマスカスからヨルダンへ入国するには乗合タクシーを使うのが常套手段らしい。乗合タクシーの同乗者はアラブ人の母と子だった。黄色のオンボロタクシーは速度計も壊れていて、実際には時速何キロで走っているかはわからないが、かなりの猛スピードで砂漠の中を走り進む。2時間ほど乗っていると、ようやくヨルダンの国境に到着した。簡単な入国審査を終え、また同じタクシーに乗り込む。ダマスカスを出発して約3時間でヨルダンの首都アンマンに到着した。乗合タクシーの終着点にはたくさんの個人タクシーのドライバーが観光客を待ち伏せしていた。僕は適当なタクシーを見つけ、ガイドブックに載っていたホテルに連れて行ってもらった。
アンマンはシリアの町に比べ、比較的近代的であったが、聖地メッカに近いせいもあり、ラマダンの影響を強く受けていた。ラマダンとは断食月のことで、イスラム暦(太陽暦)に基づく9月を断食月と定めている。日の出から日没まで太陽のでている間は食事や水を飲むこともできないという厳しいイスラムの教えだ。しかし、これまで旅して来た国ではレストランの軒先には食べ物がおいてあったし、自然に食事をすることができた。しかし、ここアンマンではそのような光景はほとんど目にすることがなかった。町を歩いている人々の目は飢えた狼のようにギラギラとしていた。かといって、昼に何も食べないこともできないのでこっそり、レストランに入って隠れて食事をしたりした。
翌日は朝からペトラ遺跡へと向かった。ペトラ遺跡とは2000年前にアラビア半島の遊牧民であったナバテア人によって築かれた交易都市の遺跡である。迷路のような岩石郡の地形を生かし、その岩をくりぬくようにして造られた遺跡群には圧倒されるという。またその岩がローズ色なので「バラ色の都市」とも呼ばれている。この「バラ色の都市」という言葉の響きが僕をペトラへと駆り立てる。早く見てみたい。アンマン発のペトラ行きのバスはデザートハイウェイと呼ばれるヨルダンを縦断している高速道路を突っ走る。あいかわらず平坦な砂漠がどこまでも続く。アンマンを出発して3時間ほどでペトラ遺跡に最も近い村ワディ・ムーサに到着した。僕はここでバスを降り、近くのホテルにチェックインした。ホテルといってもロンプラに乗っていた安宿。当然ドミトリーだった。ペトラはヨルダン屈指の観光地であるために、全てにおいて料金が高い。これは仕方のない選択なのだ。僕はドミトリー部屋のベッドに倒れこむように寝転がった。かなり疲れていた。このところ移動が続いていたし、昼食も食べる気がしなかった。ハードすぎるのか? ベッドで少し休んでいると、日本人男性が一人部屋に入ってきた。彼は僕の隣のベッドだった。簡単な挨拶を交わして話していると、彼が「一緒に(ペトラ遺跡を)見に行きますか?」と誘ってくれた。しかし、自分の体のことは僕自身が一番よくわかっていた。体が熱く、たぶん熱がある。食欲もない。多分動けないだろう・・と。仕方なく、僕は彼に病状を話し、「もし元気になったら後から追いかけますよ」と言った。
彼も「そうですね。無理しないほうがいいですよ」と言ってくれた。
僕は日本から持ってきていた解熱剤を飲んで、しばらく寝ることにした。
「しんどい」「頭痛い」・・
一人旅であるがゆえに自分の力で治さなければいけない。頼りになるのは自分の力だけなのだ。このまま深い眠りにつくのだが・・・