11.カラカスから1200キロ

色鮮やかなトラック
サンタエレナは小さな田舎町だが、通りの看板には矢印とBRASILという大きな文字が表示されていて、ブラジル的な活気のある華やかな町だった。また、ここは金やダイヤモンドの産地としても有名らしく、町にはそういう類の店屋が軒を並べていた。建物が色鮮やかなことにも驚く。

両替商
ツアー会社の事務所に入ると、30代ぐらいの欧米系女性がいた。なかなかの美人だ。きっと、彼の主人が操縦士で、彼女がマネージメントをしているのだろう。とてもきれいな英語を話す。で、早速交渉に入った。
「あの、明日ヘリコプターに乗ってロライマに行きたいのですが?」
「ええ、多分大丈夫よ。ただ、既に2組の先約があるから、昼頃になるわ。一番いい時間帯は9時頃なんだけど、それでもいい?」
「ええ、大丈夫です。で、幾らですか?」
「1250ドルよ。」
その数字を聞いて固まった。確かに高いと思っていた。ロンプラには約1000ドルと明記してあった。このガイドブックの発行年は1998年だったので、多少値上がりしていることも想定していた。でも、1250ドルは高い。でも、行きたい。何とも複雑な心境だった。折角ここまで来たんだから・・ 僕とMaruは、熱心にディスカウントをお願いし、ロンプラには1000ドルと書いてあったので、1000ドルだと思って来たと彼女に説明して、食い下がった。最後は、満面の笑みで両手を合わせお願いのポーズをとった。
「OK!」 結局、彼女は折れた。
「これは本当に特別なプライスよ。誰にも言わないでね。」 と
ラッキー! そりゃ、1000ドルでも高いけど、250ドルも安くしてもらったし・・彼女に感謝し、そこを後にした。
予定では、30日の午前中に、ヘリコプター遊覧をして、31日の午前中にサンタエレナからカラカスへ飛び、夕方17:34のカラカス発マイアミ行きのアメリカン航空で帰国するという筋書きだった。後は、31日のカラカス行きのチケットを取れば、パーフェクトな計画だった。しかし、予定というものは、そうは上手くいかなかった。
航空会社のオフィスで知らされた事実。”We have no flight.” 便はない。あるフライトといえば、6時ぐらいに着くやつぐらいで、それじゃ、意味がない。それに、遊覧が終わってからというフライトも時間的に無理だった。カラカスに到着したとき、旅行会社のやつは、「サンタエレナからカラカス行きの飛行機なんてたくさんあるから心配しなくても大丈夫だよ」といい加減なことを言っていた。僕たちは彼の言葉を信用し、何となく安心していたのだった。それが、こんな結果に・・
結局、信用した僕たちが悪いのだが。しかし、今更どうにもなるものではなく、「どうするか」が問題になった。考えた末に、浮かんだプランは、
- ヘリコプターをキャンセルして、今からすぐにカラカス行きの飛行機に乗るというプラン
- 30日に夜行バスでカラカスに戻るというプラン
という2つぐらいだった。(1)を選んでしまえば、この地にやって来た意味が無くなる。(2)にしても、必ずカラカスに時間までに辿り着けるという保証はない。それにサンタエレナからカラカスまでは1200キロもある。カナイマなんかでゆっくりせず、1日早くサンタエレナに来ていれば、何の問題もなかったのに・・という思いが心を過ぎる。しかし、現時点の問題解決に当たって、その選択に迷いはなかった。プラン(2) 夜行バスでカラカスに戻る1200キロの道程を選んだ。