CROSS THE MIDDLE EAST 20 -中東旅行記-
20.End of the Road カイロに到着したのは、夜の7時だった。もう数日でラマダンが明けるらしく、カイロの町は、お祭りごとのようににぎやかだった。僕は宿をとるために、安宿を何件もあたっていたが、どうしてか、何…
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20.End of the Road カイロに到着したのは、夜の7時だった。もう数日でラマダンが明けるらしく、カイロの町は、お祭りごとのようににぎやかだった。僕は宿をとるために、安宿を何件もあたっていたが、どうしてか、何…
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19.ヌビアの巨人 アスワン行きの飛行機は、予定時刻よりも1時間遅れで出発した。エジプトでは外国人はエジプト人の4倍の料金を払わないと飛行機に乗れない。何とも不平等なルールだ。そのため、大きな荷物を持ったエジプト人が大勢…
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18.これでもう終わり? もうこれで旅が終わるのか? ピラミッドからの帰りのバスの中で、そのことが頭から離れなかった。学生である僕にとっては無期限の旅行なんて無理だし、もうすぐ長かった学生生活も終わりになるのだ。帰国すれ…
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17.王の墓 翌日、タパからエジプトに入国し、ここでカイロ行きのタクシーを捕まえた。タクシーといっても相乗りタクシーで、僕以外にアラブ人の母子2人とスイス人の中年女性1人が同乗者してきた。途中1度の昼食休憩を取っただけで…
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16.紅い海 僕はエルサレムを後にした。それまで一緒だった平野さんは、ガリラヤ湖周辺を見に行くというので、ここで別れた。1週間ほど彼とは同じく旅をさせてもらったことになる。「じゃあ、また!」男同士の別れというのは豪く簡単…
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15.シンドラーの墓 翌日は、平野さんとは別行動で、僕は一人エルサレム近郊のベツレヘムに向かった。 ベツレヘムといえば、イエス・キリストが生誕した地である。しかし、歴史的に有名な地では在るが、街自体は古くて小さな街であっ…
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14.DEAD SEA 翌日はエルサレムの観光局による市街ツアーに参加し、街の有名な場所を見てまわった。嘆きの壁(ユダヤ教の聖地)、清墳墓教会(キリストが処刑されたゴルゴダの丘の上に建っていると言われている)、ビアドロロ…
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13.平和という名の街 レバノンから再びヨルダンに再入国した翌日、イスラエルに入国した。 イスラエルとの国境地帯ヨルダン川西域をバスで渡る。和平交渉が進み、昨年イスラエルとヨルダンとの間に戦争状態終了宣言が出され、それま…
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12.一期一会 翌朝、僕と平野さんとリタはイギリス人のクリスと別れ、ベイルート行きの飛行機に乗り込んだ。40分程のフライトだったが、リタは常に上機嫌に僕たちに話かけてきた。 レバノンと言えば、日本人にとってはすぐに頭に浮…
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11.寄り道 エド・ディルを目の前にして、今までの疲れがどこかに吹き飛んで行ったような気がした。興奮したまま、僕は藤巻さんと一緒に遺跡の左手を駆け登り、エド・ディルの神殿頂上に立った。柵も何もない頂上。間違って足を踏み外…
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10.ペトラ 先ほど飲んだ薬のお陰で、ベットでしばらく横になっていると眠くなってきた。 ふと気が付くと、30分ほど眠っていたのだろうか。少し寝汗をかいていた。僅かな睡眠時間ではあったが、なんだか体が少し楽になったような気…
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9.ヨルダンへ ダマスカスはゆっくり観光せず、翌朝ヨルダンへと向かった。ダマスカスからヨルダンへ入国するには乗合タクシーを使うのが常套手段らしい。乗合タクシーの同乗者はアラブ人の母と子だった。黄色のオンボロタクシーは速度…
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ダマスカスの夜 パルミラ滞在2日目も朝から精力的に活動した。まず、遺跡の南側に位置するベル神殿へ。この神殿だけは入場料を取られた。大きな壁で隔てられており、外部からその様子を覗い知ることはできない。しかし、中に入ると想像…
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7.哀愁のパルミラ 僕はアレッポを出発し、ホムスへと向かった。ホムスはシリアの中心に位置する交通拠点。そのバスターミナルはたくさんの人とバスと騒音であふれていた。僕はバスを降り、パルミラ行きのバスに乗り換える。バスにはア…
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6.ホモ・セクシャル アレッポのスークをブラブラと歩いていると、二人のアラビア人に声をかけられた。カフィーヤと呼ばれる男性用のスカーフや民族衣装を売っている商人。商売人の割には全く商売気がなく、僕に物を売る意欲がない。暇…
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5.シリア入国 カッパドキアで一泊し、翌朝、シリアとの国境の町アンタキヤへ向かった。アダナでバスを乗り換え、アンタキヤに到着したのは夕方だった。アンタキヤの街自体は小さなものだったが、シリア・アレッポへの中継地だけあり、…
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4.奇岩群 カッパドキア・ギョレメ行きのバスは予想以上に高級な近代的バスだった。ベンツ社製。トルコは、鉄道交通は発達していないが、バス交通は大変発達しており、その乗り心地・サービス・速さとも申し分ない。こんなにいいバスな…
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ブルーモスクを出て、歩いてグランドバザールへと向かった。市場を意味するバザールという言葉は日本でもよく使われる。バザールの中に入ると、「バザールでござーる」(NEC・CMのまね)とたくさんの商人が日本語でしゃべりかけてき…
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2.飛んでイスタンブール 飛行機はシンガポール航空。当然、シンガポールで乗換る。しかも5時間近くのトランジット待ち。空港内を隈なく探索し、時間をつぶす。ようやくゲートが開き、イスタンブール行きの機内に乗り込んだ。僕の座席…
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1.すべての始まり 1995年は大惨事で幕が開けた。1月17日、阪神淡路大震災。深い眠りについていた僕を、今まで経験した事のない激しい揺れが襲った。大阪での震度は4。僕のベッドは、まるでトランポリンのように跳ねて、僕を目…
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